声優史学

声優さんとお酒

【過去記事再掲載】聖地巡礼と声優イベントと~創作を現実に降臨させる想像力

2013年6月30日(多分)に、昔のブログで書いた記事の再掲載です。

前代ブログは闇に葬りたいので、手元evernoteにおける下書きを元にした再掲載となりますが、ここの記事で述べられている考えは今でも割と大切にしているところなので、再度掲載させていただきます。

 

 

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最近、森見登美彦四畳半神話大系』を読んだ。この作者の本を読んだのは初めてであったのだけれど、大学時代へのノスタルジアと共に強く感じたのが、「京都行きたい」という気分であった。作中では例えば鴨川で学生カップルが鎮座している風景であったり、木屋町の飲み屋でのシーンなど、実在の京都という場所を下敷きにしつつ小説というファンタジーな物語を展開しており(おそらく実在の京都の風景とは少なからず齟齬があるのかもしれないが、京都の中でもこれらの土地に僕自身が行ったことがないためその辺りは判断しかねる)、京都という街に行けば少なからずこういった世界を経験できるのではないだろうか、と読者に連想させている。

ここで「創作物と実在の土地」というテーマについて考えた際に浮かんだのが、いわゆる"聖地巡礼"とアニメ作品との関係である。"聖地巡礼"という現象は今やラノベ作品のネタにもされるほど認知されているのだが、果たしてこれが、先に述べたように、創作物で表現されている世界への純粋な憧憬から成り立っているのだろうか。

例えばここ最近で特に"巡礼"で話題になった作品「ガルパン(ガールズ&パンツァー)」は、地元大洗で様々なイベントを行い、その「本気さ」によって多くの人を大洗に呼び込むことに成功したと言えるが、実際にこのアニメを見ていると大洗が舞台になっているシーンはほんのわずかしかなく、最も印象に残るシーンも戦車の市街戦であり、これが先に述べた『四畳半神話大系』のような意味で土地(を下敷きにした作品世界)への憧憬を引き起こすとは考えにくい。むしろ、大洗に人が集まるのは「大洗が本気でガルパンを応援しているから」という理由の方が近いのではないか。

さてここからは僕の個人的体験に基づく話になるのだが、多くの"聖地"において地域自体の方から強くコンテンツを推すことで"巡礼"を作り出しているのではないかと思う。今のような形の"聖地巡礼"が認識される前は純粋な作品世界への憧れが人々をその土地へと運んでいたと思うのだが(もちろん今でもそういったケースはあるのだろうけど)、「らき☆すた」の鷲宮商工会の経済的成功が取り上げられたことで、これは儲かるチャンスだと感じた地域側が、スタンプラリーを企画したり、グッズを制作したりと、商業的な面で"聖地巡礼"が利用されるケースがかなり多いように感じた。とはいえ、僕自身もどのように扱われているか興味があって色々な"聖地"に赴いた訳なので、別にそれ自体が悪いと言うわけでもないし、地元商工会も"聖地巡礼"のブームに乗らなければ劇的な収益に結びつかないくらいの苦境に立たされているのだろうけど。


こういった現実の土地をモデルにした創作によって、作品世界を現実世界に近づける試みが多くある一方で、反対に「現実世界の方を作品世界に近づける試み」が数多くあるのも事実である。あまりにも話が飛んでしまうが、僕がこれを最もうまくやっていると感じるのが「ラブライブ!」である。

ラブライブ!」はアニメーションPV、G's magazineにおける誌上連載、声優ユニット(いわゆる中の人)によるCDやライブといった様々な軸でコンテンツ展開をしていたが、その中でも僕が特に評価しているのが、声優ユニットμ'sによるライブパフォーマンスである。μ'sのライブにおいては、バックのスクリーンにアニメーションPV(TVシリーズで使われた曲に関して言えばそのダンスシーン)を流しながら、ステージ上で各キャラクターの声を当てる声優が踊る、というものである。文章で書くとそんなもんかと思われがちだが、実際に見るとそこまでダンス頑張るか!?というクオリティの高さに驚くのである。事実、TVアニメ化による知名度上昇によって中の人ユニットとしてのμ'sのパフォーマンスの凄さも広まることとなり、6月に行われた3rd Anniversary Lovelive!の会場のキャパを大幅に上回る"ラブライバー"が生まれ、全国50を超える劇場でライブビューイングされることになったのである(余談だが、ライブ前日にうっちーこと内田彩twitter上でこの劇場を全て読み上げて「点呼」を取ったことは多くのラブライバーたちに「うっちーは天使」という認識を広めることになった)。

ここで注目すべき点は、声優ユニットμ'sが非常に高い精度でアニメーションPV(およびTVアニメのダンスシーン)を再現するという、「生身の声優(=現実世界)を作品世界に近づける」という手続きがなされていたことであり、これが多くの"ラブライバー"にライブ会場へ足を運ばせた動機なのではないだろうか。多くのアニメ作品において、イベントに声優を呼んで「作品世界の再現」を目指した展開が行われているが、これほどまでに高いハードルを越えた作品に僕は未だかつて出会ったことがないし、多くのラブライバー達もそう感じているということは想像に難くない。もっとも、こういった複雑な想像力云々の話題を抜きにしても声優ライブとは多くの人を引き付ける魅力があるので、こういった点だけがラブライブ!が広まった理由という訳ではないのだけれど。

ちなみに、ラブライブ!のプロジェクトは舞台が「秋葉原と神田と神保町の間あたりにある音ノ木坂学院」と公式に定められており、一応は現実の土地をモデルにしているが、"聖地"に秋葉原も含まれていることもあり、前述のような町おこし的にこのコンテンツが扱われていることはない(秋葉原ゲーマーズキュアメイドカフェがこの作品を推すのは微妙なラインであるが、一般的な宣伝とも捉えられるので深くは突っ込まないでおく)。神田明神にも多くの絵馬が飾られているが、元々アキバ系の著名人の絵馬が多い神社なのでさほど特別な感じもしない。とはいえライブ直前に「中の人」がこの神社に絵馬を飾ったりなどもしているので、巡礼するのは結構楽しいのだけれど。

創作世界は創作世界であり、一種のファンタジーであるため、モデルにしている実在の土地とも、声を当てている声優とも同一になることはできない。しかし、作品を深く読み込み、愛した者にとっては、その土地を訪れ、イベントで声優に「会いに行く」ことは、独自の想像力によって「作品世界を現実に降臨させる」体験に足りるものなのではないだろうか。


一応はひとつのテーマを貫いているとはいえ、森見登美彦から最終的にラブライブ!につながる突拍子の無さといい、今夜は一人酒で悪酔いしてしまったような気がしなくもない。来年2月のμ'sのさいたまスーパーアリーナでのライブにも行きたいし、京都にも旅行に行きたいな、という話である。