声優史学

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μ's GO→GO! Love Live ~Dream Sensation~(その2) -だから本当に今を楽しんで みんなで叶える物語 夢のStory-

前回の記事では、"創作世界と現実世界"を混在、同一化させ、我々に夢のような世界を経験させることが、ラブライブ!の魅力であると述べた。
だがそれはオタク的な想像力を根拠にしたものであり、もしもオタクの間だけでこの熱狂が完結しているのだとすれば、これだけの人気と支持を説明するのに不十分ではないか。

そこで、今回はもう1つのテーマと僕が考える"成長"について述べていきたい。

 

※前回の記事も併せて読んで頂ければ幸いです。

 


μ's GO→GO! Love Live ~Dream Sensation~(その1) -奇跡それは今さここなんだ みんなの想いが導いた場所なんだ- - 声優史学

 


・アイドル観と日本社会、時代の雰囲気の相互関係

AKBグループに代表される現代のアイドルは、いわゆる昭和のメディアに支えられた「アイドル」とは決定的に異なった点がある。最初から偶像性・神聖性がプロデュースされた、いわば"完成品"として売り出されていた昭和のアイドルとは異なり、現代のアイドルは、最初から"完成品"として売り出されているというよりは、むしろ"未完成"から"完成"へという、その"成長の過程"を強調いていることが特徴と言える。*1

 

このような変化の根底には、日本全体としての社会・文化の潮流の影響も少なくはない。以前は今のようにインターネットによる情報共有が普及しておらず、テレビを中心としたマスメディアにより、人々の見識は支配されていた。大衆はみな、同じようなテレビ番組を見ていた。しかし、インターネットの普及とマスメディアの権威の(相対的な)失墜により、人々はそのような"大きな物語"を失い、無数の"小さな物語"が乱立することとなった。*2

 

人々の物事の考え方の違いは、経済情勢による影響も少なくはない。端的に言うと、(僕を含め)平成に生まれた世代は、経済が持続的に発展するということに対し、懐疑的である。生まれてこの方、不景気と言われ続けて生きてきたのだから、生きていれば持続的に"豊か"になるのかどうか、懐疑的にならざるを得ないし、そもそも経済的に"豊か"になるという実体験がない。本当にこの先、我々は"豊かさ""成長"といったものを手に入れられるのだろうか。そして、経済的に"豊か"であることが、自己の人生を幸せにするのだろうか。

 

冒頭の話題に戻るが、それにひとつの答えを出すのが、現在のアイドルブームであるように感じる。アイドルを見守り、応援する我々は、彼女らに何を求めているのか。それは、他でもない"成長"であると、私は考えている。"成長"への憧れであったり、自己投影であったり、その方向は様々かもしれないが、根底には我々の"成長"への渇望があるのではないか。アイドルを応援し、彼女らの"成長"を見届けることこそが、先行きの不安な今の世の中に生まれた若者の生きる糧となっているのだ。

 

・現代的アイドル観の形成と、それをテーマにしたアニメの在り方

ところでこのような現在の"アイドル"ブームは、生身のアイドルだけではなく、創作世界つまりはアニメーションの中にも浸透している、ということに異論を持つ人はそう多くはないだろう。そして、そのような文脈でアイドルものアニメを見ていくと、ここ数年のアイドル系アニメが驚くほど先に述べたような"成長"を一つのテーマとしていることに気づくはずである。

例えば『アイドルマスター(TVアニメ版)』でも、765プロダクションのアイドルたちが徐々に成長していく過程を描き出す物語であるし、『アイカツ!』はスターライト学園でアイドルを目指す女の子の物語である。いずれにしても、"アイドル性"なるものは所与のものではなく、成長の過程で獲得していくもの、いわば後天的なものとして、その過程を魅力的に描き出している。*3

もとよりアニメーション作品のファンは"ストーリー"への志向が強い(同人誌、オンリーイベントの隆盛を考えると一目瞭然である)というのもあり、ある意味では生身のアイドル以上にフィクションのアイドルは"成長物語"への憧れを背負っているとも言える。*4


前置きが長くなってしまったが、これらの観点から『ラブライブ!』という作品を見た時も、同じようなことが言えるだろう。この作品は、音ノ木坂学院に通う高校生がアイドルグループを結成し、そしてアイドルとしても、人間としても"成長"していく物語である。最初は恥ずかしがり屋さんだった星空凛が、自分の可愛らしさへの自身を獲得したり、緊張しやすく人前に立つのが苦手だった園田海未が、だんだんとステージでのパフォーマンスを楽しめるようになったり、そのような"成長"のモチーフが随所に散りばめられている。我々は、だんだんと"大きく"なってゆく彼女らの姿を渇望している。

 

ライブイベントもまた、観客と一体となって"成長"を感じるイベントなのである。3rdライブで演者がステージで語った「最初は本当に小さな存在だったけど、ここまで大きくなった」ことに対する感動の涙は言うまでもない。今回の5th公演でも前回の単独公演(4th)からほぼ1年と、結構なスパンが開くこととなったが(その間にアニメ2期が放送されたり、声優ユニットとしてもアニサマランティス祭りなどのイベントに出てはいたが)、期待を遥かに超える素晴らしい出来であったと、多くの参加者が思ったことであろう。衣装、機材、演出、そして演者のパフォーマンス、どれをとってもこの1年間で本当に"成長"を感じさたし、また次のライブでももっとパワーアップした姿が見られるのだろうという確信を我々に与えてくれた。*5


・これからのラブライブ!

以上に見てきたように、"成長"のモチーフがラブライブ!の核であると言える。逆に言えば、"成長"し続けることはラブライブ!というコンテンツに課せられた宿命であるし、彼女らが"卒業"を宣言する時というのは、すなわちこれ以上の"成長"を放棄してしまう時なのだ。

 

アニメ2期にて、彼女らの物語は一度、卒業という形での区切りを迎えた。一方で、13話の最後のカットにて、同時にまだ彼女らの物語に何らかの展開があることも暗示させており、ちょっとした反響を呼んだ。変に引っ張らないで卒業させるべきだとか、そのちょっとした演出で余韻が台無しになるとか、そういった類の意見である。正直に申し上げると、僕もそう思っていた。ブシロードはまだ金のなる木を手放したくないのだな、と。

 

しかしながら、今になって思い返せば、そこで卒業を宣言するということは、すなわち"成長"を諦めてしまう、ということになるのではないか。これまでに述べてきたとおり、ラブライブ!は単なるアニメだけではなく、声優ユニットの存在も裏に匂わせるようなコンテンツとなった。アニメの物語としては一区切りだとしても、声優ユニットとしての彼女らはまだまだこれからの存在なのである。

 


きっと、NEXT WINTERに予定されている次のライブでも、ますます"成長"した彼女らのステージが見られるのだろう。

今回の5thライブは、前回4th以上にそういった強い確信を抱かせるものであった。

 

 

最後になりますが、キャストの皆様、スタッフの皆様、参加者の皆様、そしてよく僕のくだらないオタク話に付き合ってくださる皆様、ありがとうございました。

*1:AKBオタクであり社会学者の宇野常寛氏の言葉を借りれば「参加型ゲーム」とかそういった所の特徴。詳細は『日本文化の論点』あたりを参考にされたい。

*2:僕は東浩紀氏の『動物化するポストモダン』あたりの書でこういった概念を知りましたが、ポストモダン研究としての源流がどのあたりなのかいまいち理解しきっていないので、ご存知の方がいましたら教えていただけるとありがたいです。

*3:詳細は割愛するが、『Wake Up, Girls!』『普通の女子高生が「ろこどる」やってみた』等も同様のテーマの作品群と言える。

*4:オタクにもいろいろな人がいるもので、缶バッジをじゃらじゃらと身にまとって他のオタクに見せびらかすことで承認欲求を満たすタイプのオタクは本件に該当するか分かりませんが。

*5:何度も申し上げるようで恐縮ですが、僕が今回特に1年間で変わったと思ったのが三森すずこさんと楠田亜衣奈さんの2人。三森さんはミルキィ4人にいるときに比べるとμ'sメンバーといるときはどことなく硬い感じを今までは受けていたのですが、5thではメンバーとの距離も縮まって伸び伸びとしている印象を受けた。楠田亜衣奈さんは初期の頃に比べて技術的に向上したことももちろん、ソロ曲のステップであったりDancing stars on me!の間奏のスピンであったり、とても以前とは比べ物にないほど自分のパフォーマンスに自身が持てているような感じが伝わってきて、人ってここまで成長できるんだな、って。2日目公演が自身の誕生日だったから見せ場も多めだったというのもあろうけど。